本名 青木慈雲
1929年(昭和4年2月)神奈川県横浜市に生まれる。
清水高等商船学校 航海科卒(現在の商船大学の前身)武蔵野美術大学油絵科卒 東京大学文学部哲学科聴講生を経て立正大学に学ぶ。更に海外の大学で仏教学・宗教哲学を研鑽、ホノルル大学で宗教哲学博士の学位を授与。
人生半ばにして、深く感ずるところあって出家得度。修行によって独自の祈祷法を修得。1977年(昭和52年)宗教法人 妙法山(超宗派)設立、全国に精力的な布教活動を展開、大本山妙尊寺(三重県)をはじめ、龍覚寺・慈雲院(山梨県)妙海寺(山口県)などに寺院を持っている。
同時にスリランカ国立スリー・ジャヤワルデネプラ大学の要請で同大学に慈雲国際人文科学研究所を設立、更に同国立コロンボ大学にU.G.C.(University Grants Commission=スリランカ国立大学運営管理委員会)の要請で移管。独自の研究である霊的知性学を始め国際的学者との学術研鑽と交流などスリランカでもその活動は著名。
スリランカ国立コロンボ大学スリーパーリーキャンパス名誉主席教授・「慈雲国際財團」創設総裁・近代日本美術協会顧問・宗教哲学博士
「霊的知性学」「仏教原点回帰論」など論文多数
絵画をはじめとする多彩なアーティストとしても著名。
画家としては数々の受賞や国際展で外国でも高い評価を受ける。
最近はコンピューターアートの世界で異彩ぶりを発揮。「慈雲アート」と人気が高い。現在、山梨県都留市で「妙法山 総本山 龍覚寺」建立中。
同時に「慈雲美術館」も建設計画中だが、病を得て計画が遅れているが、近々再開の予定。
1997年12月26日、医師より末期肺癌の告知を受ける。手術するのは不可能、余命「4ヵ月〜6ヵ月」と診断を受けるが、まったく動揺することなし。淡々と著作、絵画、書作、彫塑、写真、作詞などの制作に意欲を燃やしつつ、音楽作曲制作も。自身の葬送曲「慈雲葬送曲」も作曲、演奏まで一人で手掛ける。
大河歴史書「縄文の血族」を脱稿、近々出版されるが、空白の縄文時代の歴史の謎を全解明。日本の歴史感が変わる力作となろう。
また、宗教家、哲学家としての見地から、日本人の死生観はかくあるべきだと、自身の癌奮闘記を通じて「日本人の魂は死なず−慈雲死後の世界」(仮題)執筆中。
多くの財界著名人の信者・友人らのたっての要請で日本最後の行者・慈雲が説く「行」をも執筆中。行者の心得から実践までを本邦初公開する”密教と行者の知られざる実相”をあますところなく後世に語り残すという著作にも取り組んでいる。
そのほか、小説「誘い(いざない)」(脱稿)に続いて「慈雲の独白(ひとりごと)」も執筆中と、死と対峙しながらハードな流行作家並みの著述活動を強いられている。
1998年4月11日69歳にて遷化。

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