武蔵野美術大学油絵科在学中、現代美術協会設立に参加その後、一線美術会に移籍。
30歳の時、一線美術文化賞を機に画壇を離れ自己研究のため、哲学・宗教の世界に身を投じながら更に芸術の探究を深める。その間一切の作品を30年間発表せずそして彗星の如く、画壇に復帰、公募展の会長・名誉会長などを歴任するも数年にして、ほとんどの役職を止め、スリランカ国立コロンボ大学スリーパーリーキャンパスで次代の美術家の養成に力を注ぎながら、自己の制作に精進する。しかし現在、末期肺癌のため行動もままならない中で、一点々々を遺作の覚悟で制作中である。

1953年 武蔵野美術大学油絵科入学
1953年 現代美術協会展・新人賞受賞
1954年 現代美術協会展・マツダ賞受賞・会友に推挙
1955年 現代美術協会展・現代美術協会賞受賞・会員に推挙
1955年 東京銀座・村松画廊に於いて個展
1956年 東京画廊に於いて個展
1957年 武蔵野美術大学油絵科卒業
1957年 一線美術展・新人賞受賞・会員に推挙
1957年 一線美術会員展出品・東京銀座・松坂屋
1958年 東京銀座・村松画廊に於いて個展
1958年 一線美術展プールブ賞受賞
1958年 一線美術会員展出品・東京銀座・松坂屋
1959年 一線美術展・一線美術文化賞受賞・受賞を機に画壇を離れ、以後30年間、一切作品を発表せず心象的絵画の研鑽に入る
30年後に彗星の如く画壇に再登場
1990年 国際アカデミー賞受賞
1990年 国際美術団体美展名誉会長に就任
1990年 同展・京都美術館に200号を発表し話題になる
1991年 同展・秀作展出品「東京芸術劇場」
1991年 同展・京都美術館に大作発表
1991年 国際親善美術展・内閣総理大臣賞受賞
1991年 水潮会展・大賞受賞
1991年 近代美術協会顧問に就任
1991年 韓国より国際文化大賞受賞
1991年 国際親善美術展出品・愛知県知事賞受賞
1991年 国際財団展設立展・初代総裁に就任
1997年 国際美術文化賞(フランス)受賞

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